普通の会社員の思考

妻と子供(2人)がいる会社員のブログです。推敲なし。

サイレンス~沈黙~見た

私は、ミッションスクールを卒業したからキリスト教に多少馴染みがあって、働きはじめてから仕事や人間関係が上手くいかないときに、神様にお願いすることが多くなった。それは、何かすがるものが欲しかったから。別に仏様でも、なんでもよかった。
一時期は教会にも行こうと考えてたくらいには、キリスト教について調べたりしたし、その過程で三浦綾子遠藤周作も読んだ。沈黙も読んだ。信じても救われないのか、納得する答えをそこから読み取ることはできなかったけど、精神的な支柱なしに生きるには毎日は難し過ぎた。

その後、夜と霧を読んだ。そこに、答えがあるような気がした。

『私達が生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているのかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えなければならない。哲学用語を使えば、コペルニクス的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きることの意味を問やめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。』

人生で困難にぶつかったとき、なんで自分だけがとか、あの時違う選択してたらとか、後悔や悔しさやいろいろな感情があるとき、それは生きることからの問いかけ、神からの問いの前に立っているんだ。生きることの意味を問うのではなく、生きることからの問いかけに答えていく。つまり、神からの問いかけ答えていく。

サイレンス見ながら、夜と霧にたどり着いた。